ちょっと前に下半期の目標にドラム再開を書きましたが、そのときにドラムの画像を探し回って、僕にとっては宝くじを当てる以上のインパクトをもつ世界遺産を発掘したんです。僕が『神』と崇めるドラム・ヒーロー『コージー・パウエル』の、生前に参加しつつもお蔵入りとなっていた音源が二年前にアルバムとして発売されていたんです。
二年前というと、僕の生活環境が最低の時期。「今週は生き残れた、来週は食えるだろうか」といった、極貧状況にあったため、こういった音源探しをする元気も無かったんですね。特にコージーの音源に関しては、あっちこっちのレコード会社が出せるだけの音源を出し尽くした頃で、ファンの間で噂に上るいくつかの『幻のお蔵入り音源』も、世に出る可能性はほとんど無い……といった感じでした。つまり、自分の生活と音源を巡る環境の両方に、元気を無くしていたんですね。
で、その二年前に出ていたというアルバムは……詳細は右端にある『今の車内音楽』欄に載せましたので、岬が聴いてる音楽に興味がありましたらどうぞ(笑)。
ちなみに『コージー・パウエル』という人に関しては、ここがいちばんやさしく教えてくれています。
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20000405
僕がドラムに関わった経緯は割と単純。小児喘息持ちでひ弱だった僕は中学に入って部活を選ぶ際、友人のお姉さんが吹奏楽部にいて(これがまたキレイな方でして……いやいや)、そのお姉さんも喘息だったんですが、クラリネットを吹いていたんです。呼吸法から健康を正していくのもアリかと思い、入部したところ空いているパートはパーカッションのみ。
……パーカッションって何だ?(笑)
小太鼓・大太鼓・鉄琴・木琴・シンバル・ティンパニなどの『打楽器』の総称なんですが、初心者はまず大太鼓。次いで小太鼓、。という風にレベルアップしていくわけです。ところが、吹奏楽とは別に、友人からロックの素晴らしさを教えられ、個々の打楽器も面白かったのですが、ひとりで多くの太鼓を叩ける『ドラムセット』に魅せられてしまったんですね。
この時、とにかくコピーしまくったのが『ディープ・パープル』でした。ドラマーは『イアン・ペイス』。華麗に跳ね回るスティックさばきの素晴らしいドラマーです。しかしその後、更なる衝撃を受けます。そのバンドの名は『レインボー』。そしてドラマーは『コージー・パウエル』。
バスドラムがふたつあるじゃないですかっ!これ、今では珍しくもありませんが、当時は凄い衝撃だったんです。しかも、ツーバスという構成を利用するドラマーは他にもいたんですが、ほとんどはテクニカルに右足の補助的利用だったわけです。コージーの場合は違いました。右も左もありません。両足がツーバスと一体化して『ドカドカ』と攻撃してくるんです。
とにかくこのツーバスの威力に打ちのめされた僕は高校に入ってすぐ、武道館でのライブに出向きます。そして目の当たりにしたコージーの雄姿!!!!
鋭い眼光!
オーバーアクションと止めのキレのよさ!
チャイコフスキーの『1812年』をバックに放つ荘厳なソロ!
そしてスティック飛ばし!しかもキャッチする!
もうね……脳天からスティックで脳みそかきまわされて吸いだされたみたいになって帰ってきましたよ(笑)。
コージーという人は生き方のうえでも神でした。渡り鳥と称する人もいますが、とにかくあっちこっちのバンドを渡り歩き、山ほどのセッションに参加しています。しかしこれは彼の流儀。『常に挑戦(チャレンジ)』が彼の生き方なんです。一箇所に留まらず、ひとつに染まらず、あれもこれもとにかく挑戦していく……カッコイイじゃないですか!ねえ!(笑)
さて。
僕はドラムから離れ、今までとまったく違う生活を送るようになっていましたが、それでもコージーの音だけは追い続けてきた……そんな98年の4月。ネット仲間から信じられない内容のメールが。『コージーが亡くなったらしい』。
英語なんてろくに読めないクセに、海外のあっちこっちの関連ページを検索して、それが事実であることを知りました。自爆の交通事故。他に被害者なし。ドラマーであり、またレーシングカーのドライバーという一面もあった彼らしい最期。
当時、非合法でしか手に入らなかったコージーのドラミングのビデオをぶっ続けで観ながら、夜通し泣きました。ええ、そりゃあもう、号泣でしたよ。それほどに素晴らしい音を聞かせてくれたんですよ、コージーという人は。
僕はコージーの事を神と崇めています。『叩く』という単純な行為で、観る者・聴く者の心を震わせ、常に『チャレンジ』し続ける勇気を与えてくれ、あっという間に散り、伝説となった男。
『打神(だしん)』という肩書きを、僕は贈りたいと思います。
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