フォトアルバム

今の車内音楽

ぼくたちの教科書

メイン

2007年11 月24日 (土)

コメント

海賊

以前、日本でも交通事故の手術の際輸血が必要なのに、うちの子には他人の血液は輸血させられないthinkなんて事があったのを、思い出しました。かなり前の事なので詳細は忘れましたが・・・downでも、この時は「なぜ?」の部分も、報道され問題になっていました。

岬

あぁ、あれは宗教上の拒絶だったんですよね。他人の血を混入させる事で『血が汚れる』とか何とか……
信仰の自由ってのは解らなくはないんだけれど、科学的・医学的根拠によって死亡が推測される場合に限っては、手術なり治療なりは『受ける本人の意思』を尊重する形を整えないと、無理解な親族に『殺される』という事態が、これからも続いちゃうと思うんだよね。
これって、ある意味『DV』ってヤツじゃないかとも思えるんだけどねぇ。

葵女子♪

 いろいろあるんですよね、こういう場面・・・
 宗教もそうだけど・・・日本の場合、臓器移植とかは問題になっちゃうし。。。

 今はドラマなどでおなじみの「骨髄移植」も、20数年前は「人道的に反する」とかでできなかったんですよね・・・
 乳がんの治療も・・・昔は「乳房を切るなんて」とかって忌み嫌われてた・・・

 宗教的、道徳的、人道的、倫理的・・・
 いろんな考え方が、今の時代になっても息づいてる。。。

 結局、そういうのは「健康」なヒトの言い分で・・・自分がそういう事態にさらされたら「助けてほしい」とか思うはず・・・

 そこのあたり、誰も考えてない・・・
 自分が「被害者」になったら・・・そう考えてみてほしいな・・・

サンザイオー結城

 ああいう人たちは、もし自分がその立場だったら、「私に輸血するな」とか「私を助けるな」と云うんでしょうか?・・・そう言う人に限っていざとなったら「私を助けて!」とか言いそうですね・・・。
 宗教に関しては色々難しいのででとやかくいえませんが、目の前の『大切な人の命』が一番大事だと思います。

Tommy

気持ちは解るが
イジメに対して立ち向かおうという人が、例え悪人に対してでも「死ね」とは言わない方がいいと思うな。

岬

そうですねぇ。
でも残します。このまま。
どうかお許し下さい。

この記事へのコメントは終了しました。