とある国で起きた悲しい死亡事故の記事を読んだ。
重病の状況に手術を勧められた妊婦。しかし「単なる風邪だから」と夫は取り合わなかったらしい。
医師は「手遅れになるから」と手術費はいらないと進言。それでも夫は首を縦に振らず。
結果、母子共に亡くなってしまったそうだ。
いったいこの夫は『何』を心配していたのか。『何を守りたかった』のか。
そこには何か、言えない事情があるのかも知れない。しかしだ。
金は要らないとまで言ってくれる医者や病院を、悲しいかな僕は日本の常識の中で一度も聞いた事が無い。だがその病院はそう言ってくれたのだ。だが、当然のことながら医者は親族の認可が無ければ勝手に手術はできない。だから夫に『頼んだ』。『手術をさせてくれ』と。それを蹴った夫にどれほどの事情があったにせよ、納得できるものじゃない。
言えない事情があったとしても、それが妻や子供の『命』より重いものであるハズが無い。もしそんなものがあったとして、それを優先したいのならその場で離婚すれば良かったのだ。
離婚して実の親族に判断を任せれば良かった。両親や兄弟なら風邪でも何でも、そこで身内が死にそうになっていたら医者に泣きついただろう。
『なぜ』の部分は、たぶん明らかにはならないだろう。海外の事件だし。しかし、そんな『なぜ』という部分になんか興味は無い。この事件で感じたことは、感情丸出しで申し訳ないけれど、この一言に尽きる。
死んでしまえ!
この大馬鹿者め!!
以前、日本でも交通事故の手術の際輸血が必要なのに、うちの子には他人の血液は輸血させられないなんて事があったのを、思い出しました。かなり前の事なので詳細は忘れましたが・・・でも、この時は「なぜ?」の部分も、報道され問題になっていました。
投稿情報: 海賊 | 2007年11 月24日 (土) 午前 07時40分
あぁ、あれは宗教上の拒絶だったんですよね。他人の血を混入させる事で『血が汚れる』とか何とか……
信仰の自由ってのは解らなくはないんだけれど、科学的・医学的根拠によって死亡が推測される場合に限っては、手術なり治療なりは『受ける本人の意思』を尊重する形を整えないと、無理解な親族に『殺される』という事態が、これからも続いちゃうと思うんだよね。
これって、ある意味『DV』ってヤツじゃないかとも思えるんだけどねぇ。
投稿情報: 岬 | 2007年11 月24日 (土) 午後 01時37分
いろいろあるんですよね、こういう場面・・・
宗教もそうだけど・・・日本の場合、臓器移植とかは問題になっちゃうし。。。
今はドラマなどでおなじみの「骨髄移植」も、20数年前は「人道的に反する」とかでできなかったんですよね・・・
乳がんの治療も・・・昔は「乳房を切るなんて」とかって忌み嫌われてた・・・
宗教的、道徳的、人道的、倫理的・・・
いろんな考え方が、今の時代になっても息づいてる。。。
結局、そういうのは「健康」なヒトの言い分で・・・自分がそういう事態にさらされたら「助けてほしい」とか思うはず・・・
そこのあたり、誰も考えてない・・・
自分が「被害者」になったら・・・そう考えてみてほしいな・・・
投稿情報: 葵女子♪ | 2007年11 月24日 (土) 午後 04時41分
ああいう人たちは、もし自分がその立場だったら、「私に輸血するな」とか「私を助けるな」と云うんでしょうか?・・・そう言う人に限っていざとなったら「私を助けて!」とか言いそうですね・・・。
宗教に関しては色々難しいのででとやかくいえませんが、目の前の『大切な人の命』が一番大事だと思います。
投稿情報: サンザイオー結城 | 2007年11 月25日 (日) 午後 04時14分
気持ちは解るが
イジメに対して立ち向かおうという人が、例え悪人に対してでも「死ね」とは言わない方がいいと思うな。
投稿情報: Tommy | 2007年11 月27日 (火) 午後 10時36分
そうですねぇ。
でも残します。このまま。
どうかお許し下さい。
投稿情報: 岬 | 2007年11 月27日 (火) 午後 11時50分