ついに発売された。
『夕凪の街 桜の国』
待ちに待ったDVDである。
本当に待った。待たされました。
早ければ三ヶ月、遅くとも半年でDVD化される流れの中、八ヶ月かかった。しかし、桜色に全国が染まり、春のやさしい風にその花びらが舞う、この時期ならではのプレゼントとも言えます。
昨年度の邦画において、岬はダントツ一位に推してました。別に賞を取らなかったからといって、この作品に妙に肩入れしているわけじゃないです。本当に素晴らしい作品なのです。胸を張ってそう主張できる作品なのです。
泣けるから?
確かに泣けます。猛烈に。人目がどれだけあったってあふれ出る涙を止めることは不可能でしょう。
原爆を扱っているから?
確かに扱いの難しい題材です。今でも論争の続く原爆の可否論。使う立場、使われた立場の大きな違い。そこに真っ向から立ち向かった映画です。悲惨な描写は無く、痛々しい場面もありません。それでいて観た後で大きく、深く、考えさせられる素晴らしい作品です。
ではなぜ日本アカデミーもキネ旬も大きな賞を与えなかったのか。
単純な話、『それが世の中の構造』なのですね。
この作品の配給に東宝、東映、松竹などの大手は尻込みしました。原爆が扱われていたからです。地味だなんだと理由をこじつけつつも明らかな理由はそこです。爆発的に売れて世間に受け入れられている原作まんががあるわけですから、企画段階から飛びついたって全然おかしくない。むしろ社会的動議からすれば製作委員に名を連ねたって決して損は無いはず。なのに『ゲンバク』が扱われるだけでその作品はタブー視されてしまうのです。
ちなみに、原爆に尻込みした大手配給会社の皆さん。ゴジラやガメラは『怪獣映画』だから原水爆を扱っても良しなんですか? 『原爆の出ない戦争映画』は良くて、『SF映画なら出ても』良くて、『アニメ』なら何でもアリ。そんな、ワケのわからない妙な価値観と商売根性で作品を選んでませんか?
ある意味、
『ウルトラセブン第12話欠番問題』に近い考えと感覚がそこにあります。いい加減、差別や誤解というバカバカしい呪縛を解かないといけない。それは映画とかの作品作りに携わる側だけの事ではなく、加害者や被害者・傍観者というそれぞれの立場にいる全国民にもあてはまります。個々の問題すべてに当てはまりはしないけれど、これからの世代・世界に対して作られていく様々な作品に曲がった意識と卑屈な圧力を与えるのではなく、『二度とあってはならない事実』を真剣に正しく伝えるための努力と協力をしなければ。
つまらない映画やどうでもいい映画の多い現代、これだけ魂のこもった作品が丁寧に作られ、劇場で観られた事は『奇跡』なのです。そういう意味では佐々部監督と多くのスタッフ・キャストの皆さんに心より拍手を送りたい。
でも、奇跡を奇跡と捉えていてはいけません。こういう作品をもっともっと作らないと。堅実に。着実に。
岬がダントツに推した理由は原爆なんかにはありません。
背負った者にしか解らない『心の痛み』。
逃れようのない『悲しみ』。
生きている事の『大切さ』。生きていく事に対する『嬉しさ』。
はかなげではあっても確かに心を満たしてくれる『希望』。
そんな、うまく言葉にできない『何か』が、うまく語れないにせよ『確かな手ごたえ』で伝わってくるのです。悲惨な状況にあって、なお、それでも、忘れてはならない大きな事実を教えてくれます。
『人間は“命”を持って生きている』ということ。
岬は生きています。ここに集う仲間たちも生きています。みんな“命”あってのことです。
“命”を大切に生きていこう。
そう締めくくるこの映画の、誠実な姿勢に泣いたから、岬は推したのです。
『感動』という言葉でくくってしまってはあまりに勿体無い映画です。
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