この犯人を擁護するわけでもなければ認めるわけでもないけれど、延々綴られたばかばかしいほどに独りよがりなうらみつらみの中に、ひとつだけうなずけるものがあった。
この事件のあとで、自分を知る人々が「あぁ、あの人ならやりかねないわね」と言ったとしたら、その人たちこそが唯一の僕の理解者だ
その通りだと思う。
今の世の中、他人のことをよく知りもしないクセに、知ったふうにレッテルを貼る輩が多すぎる。
事件が起きて、取材を受ける周辺住民たちの口から出る言葉は、決まって「そんなことする人には見えませんでしたよ」である。
見えませんでしたも何も、そんなによく観察していたわけでもないのに何を言ってるのか。
日ごろから「そんなこと」をしそうに見せている人がいるものか。
他人の心の機微なんかどんなに話し込んだって解りはしない。親兄弟・夫婦・先生・親友であってもそうなのだ。
犯罪を起すほどの人物が心に抱えている闇は、とてつもなく大きい。大きいけれど、その分、深いところに隠されている。そんなものが簡単に見えるわけがない。
偏見を持つなという道徳観は正しい。しかし、今の日本人の他人に対する感覚は異常なほど鈍りきっている。
犯行現場でケータイ写真を撮る人が多かったそうだ。それを気味が悪いと書きたてる新聞や週刊誌があった。
僕は、それを書くメディアの方が気味が悪いと思う。秋葉原に限った事じゃないのだ。渋谷でも新宿でも、火事・殺人・ケンカの事件現場では、多くのひとがケータイで撮影している・・・・・・
なにもかもが『今更』のことなのだ。
あの秋葉原の犯人の、先の一言にだけは、僕は正直にうなずけた。
物事をきちんと見ていない人に限って、上っ面だけで知ったようなことを言います。
自分は曇りのない目で物事を見るために一生懸命勉強したし、操作された情報に左右されないように心がけています。
「後期高齢者保険制度」だってそう。
マスコミやら政党やらの情報だけを見て真実を見ようとしない。
なぜそれが作られたのか。
何が問題なのか。
みんなが公平に暮らせるにはどうすればいいのか。
ちっとも勉強しないくせに偉そうなこと言う奴を見ると反吐が出ます。
「必要なら」ジジイババアから金取ってもかまわないと俺は思う。
朝からコーフンしちゃいましたwwwwwww
投稿情報: 軍曹 | 2008年6 月16日 (月) 午前 08時57分
抱えている闇‥
それに気づいて回避することができる人。。
自分の心の中の厄介な闇の正体と対話し、
聞き入れてしまった人。。
犯してしまう一歩手前で踏みとどまらせるものの存在とは何か。
負のエネルギーすらキャッチすることができないほど‥感覚が鈍ってしまうと、この闇さえ感じないペラペラな心になってしまうのだろうか。。
投稿情報: ありす | 2008年6 月16日 (月) 午後 12時23分
実は、事件が起こってすぐから、
「どうしてこんな人間ができあがってしまうんだろう」
ということばかり考えてました。
その後に色々と情報が入ってきて、親のしつけが厳しかったとか、中学までは良い成績だったのが高校で挫折したとか、彼女ができない悩みとか、人と交われないとかあるけれど、それぞれそんな人間はこの世にたくさんいるので、それをなぜああいう行為に結びつけるのかが今ひとつわかりません。
あそこまでやるからには、相当に積もり積もったものがあって、自分以外のほとんどすべてを恨めしく思っていたりするんだろうけど、それにしても、その思考の到達点がどうしてああいう行為になるのか・・・。
それで、どうしたらそういう人間を生み出さないようにできるのか?ということが一番問題なんですが、どうにも方法が無い気がします。先天的にああいうことができてしまう人間がいて、それが言いたいことを言えない性格で、かつ大きなストレスを受けたときに、ああいう行為に及んでしまうのでないかと考えました。
でも、少しでもそういうことが起こらないように何らかの手を打たないと、起こった後にやった本人を糾弾するだけでは遅いし、何も解決しないですから。
でも、それって難しいよねぇ・・・。
ちなみにワシは、その人に対して何もやって挙げられない場合は、安易に「かわいそう」などと口にしないようにしています。
投稿情報: いぶくろう | 2008年6 月16日 (月) 午後 01時42分
秋葉原の通り魔みたいな人間が出てくるのは、まあ防ぎようがないでしょうね・・・。殺された方はたまったもんじゃありませんが、理不尽とか不条理ってのは、どうしたって無くならない秩序の「ゆらぎ」みたいなもんなのだと思います。
ただ、なるべくこういった事件が起きないように備える手だてというか、ノウハウみたいなものはあるのかもしれませんね。自分のブログには書いたんですが、問題は彼らが自分の周辺の狭い世界を、マクロな「世の中」とか「社会」に転嫁しちゃってることだと思うんですよ。職場が気に入らなきゃ辞めりゃすむことだし、家族とうまくいかなければ家出すりゃいいのに、「今居るところから抜け出す」っていう発想ができなくなってる。挙げ句、「世の中」への敵意を見知らぬ「個人」に向けてしまう・・・。
若い子と話してると、最近特に対象のスケールを分けて考えられなくなってるのを感じます。
投稿情報: エルモ | 2008年6 月16日 (月) 午後 09時37分
>>軍曹
誰かと思った(笑)。
物事って色んな角度から見てみないとその形すらわからないもんだけど、伝え聞いた情報だけを鵜呑みにするってのは情けなさすぎますよね。まぁ、そうだとしても議論を交わせるならまだいいんだけど、ひとの意見をぜんぜん聞かない人がいる。こういう人がいちばん厄介。ある意味、こういう人たちが犯罪者予備軍のような気がする。言いすぎかな?
>>ありすしゃん
またこの人も難しいこと書いてきたな(笑)。
心の闇ってみんな持ってるはずなのに、それを『無いもの』と切り捨ててる人いますよね。岬、そういう人のいう事は信じないことにしてます。いちばん嘘つきだもんね。
>犯してしまう一歩手前で踏みとどまらせるものの存在とは何か。
その人の大切に思える人なりモノなり、かなぁ。
思想でもいいし欲求でもいいけど、闇って結局は『楽(らく)』で、そんなものを簡単に手にいれちゃうと、本当に大切なものや欲しかったものが逃げていっちゃう・・・・・・
それに気付いたひとは、安易な『楽』に逃げないで済むんだけど、気付けない人や気付いているけど『楽』に逃げちゃう人って、たぶん自分にとって本当に大切なものって何なのかが『解ってない』んだろうと思います。でもそれは教えてもらって知るものでもないしねぇ・・・・・・
>>いぶくろうさん
もう、あなたまで小難しいことを・・・・・・(笑)
>先天的にああいうことができてしまう人間
これ、すべての人間がそうだと岬は思ってます。生まれてから集団生活をせずに欲求のままに生きてくると、友が欲しい時は友を大切にするけれど、要らなくなったらサラッと殺しちゃうんじゃないでしょうか。人間もほんの動物ですからね。
ただ、集団で助け合って未来へ進んでいかないといけないと気付いた頃の人間たちが、聖書なりを編纂して『集団生活における決め事』を仕立てて、もっと進んだ社会がそれを生活上の法律にして、それ以降の人間社会においてそれらが『常識』と呼ばれてこなれていったんでしょう。
これが壊れてきてるって事は、なんだかんだ成長してきた『人間』という生き物が、退化を始めたって事なんじゃないでしょうか。
人の痛み・苦しみを理解せず、むしろ好機と蹴落として先へ進む・・・・・・
そんな社会になっているんでしょう、たぶん。
やだやだ(笑)。
投稿情報: 岬 | 2008年6 月16日 (月) 午後 10時02分
>>エルモ社長
マクロとミクロって話ですよね。
身近なミクロな出来事だけでマクロな世の中全体が同じだと思い込んじゃう。いじめはどこにでもあると諦める子供がいるけど、いじめが無い学校だって実際あるし。
まだまだ日本列島広いですからね。現状が辛いなら別の土地に動いたっていいんですよね。もっといいのはそれと同時に自分も成長しようとすることなんだけど・・・・・・
投稿情報: 岬 | 2008年6 月16日 (月) 午後 10時14分