今の世の中大変です。
前はうつに悩む友人は一人だけでした(笑)。
そのうち自分も会社の倒産の処理の中で様々な人々の生活が壊れていく様を見、自分の生活も破綻寸前という恐怖を味わって引きこもりを体験しました。
幸い新しい仕事の忙しさがそれを忘れさせてくれましたが、その後、気付くとまぁ増えた増えたうつだ引きこもりだの友人たちが。
しかも新しく知り合った仲間に多い。
今、いちばん身近にいる仲間もまた、うつに苦しんでます。
そりゃ大人になればなるほど体は疲れるし、周囲も同じ。親たちは老いて鬼籍に入りはじめる。親戚も。兄弟も。
でもそういう昔から変わらない要因はむしろ関係ない。
今の世の中は、日常生活の中での心の疲弊が物凄すぎます。
ストレスなんていう言い慣れた言葉で表現しちゃいけないくらい、殺傷能力の高い精神的圧迫があまりにも多すぎる。
いったい何が昔とそんなに違うのだろう。
会社組織?
学校?
家族?
そう。どれも変わってきてます。正直、その存在意義が薄れてきてる。
家族も?!
そう、家族の存在意義ですら今や怪しい。
しかし、そんな中でも「これだけあれば何とかなる」と、そう思える要素はたぶん「人のおもいやり」だろう。
昔はこう書くと夫婦間の愛情とか、友達との友情だったりしましたけど、今はもっと根本的な部分。
『自分のポリシーを自分で破壊してでも自分を怠けさせる力』
これが究極の思いやり。自分に対する奥の手的思いやり。
人は簡単に「休めよ」と言います。
けれど休めない。それは会社も学校も同じ。言葉でいくら言ってくれても、社会はそれを許さない。
いや、実際は許してもらえるのかもしれない。でも「休めない」という強迫観念が付いて回る。
そんな強迫観念を押し退けるだけの強い精神力を発揮しないと、おいそれと休めない。
でも疲弊した精神でそんな判断は難しい。
だから頑張ってしまう。
だから体が、精神が悲鳴を上げる。
それでも周囲の理解がなければ、人間は簡単に朽ち果ててしまう。そんな友達が多すぎる。
そういう経験の無い人には解らないだろう。
なんでそこまで自意識過剰に自分を苛めてしまうのか。体を壊してしまっては元も子もないだろうに。
経験の無い人は簡単にそう言い、それを処方箋の様に連呼する。
違うのだ。そんなことは重々承知しているのだ。それでも何かがひっかかり、何かの重圧があり、どうにかするには足掻くしかないのだ。
そういう状況の中でその『何か』をほったらかしに自分が休めば、その『何か』によって同僚が・友人が・家族が苦しむのだ。
その『何か』である要因が解決もしくは放置できる状況にならない限り、本当の安息はない。
だから頑張ってしまうのだ。だからこそ必要なのは、
『自分のポリシーを自分で破壊してでも自分を怠けさせる力』
これは要は、何事においても自分の立場や健康を損なわないように立ち回ることを指す。
転んでからでは遅いのだ。
しかし……
こんな生き方は間違いなく『悪者の生き様』だ。
「苦労は買ってでもしろ」
「一日一膳」
「石の上に三年」
「千里の道も一歩から」……
僕たちは幼少の頃から、これらの言葉をこんこんと聞かされ続けてきた。そうして大人に成長した。そしてそこに待ち構えていた大きな壁は、よりよい人間の生き様と比較してあまりにも正反対な生き様。
そうなのだ。奥の手的究極の思いやりである『自分への思いやり』というのは、こういう性質のものなのだ。だから心正しき人々は簡単に実践できないのだ。
仮にこれを躊躇せず実践できていれば、心を・身体を蝕まれることは無いかもしれない。
でもできないのだ。
したくないのだ。
ポリシーを曲げるなんてことはそうそうできることではないのだ。
悩んでいる友人がいれば相談に乗ってあげたい。
泣いている子供がいればどうしたのか聞いてあげたい。
偽善でも何でもない。自分が苦しみを知っているから、同じく苦しんでいる人をそのままにしたくはないだけだ。
そんな心優しい人々ほど、苦しみにのた打ち回っている。
どうしたんだこの世の中は。
どうすべきなんだ、我々は……
せめてもの救いを最近ひとつ見つけた。
友達の女の子が泣きながら深夜にかけてきた電話で、長く話したあと最後に笑いながら言ってくれた。
「今話せてよかった。助かった。こんなこと、話せる相手いないから」
まだ救える。話そう。
まだ救える。とことん話そう。
聞こう。その悩みを。いくらでも聞くぞ。なんでも聞くぞ。吐けないものを全部吐いてくれ。
吐けそうにないなら僕が指を突っ込んでてでも吐かせてやるから。
絶対楽になれるから。
そうだ。僕も仲間に話して助かったことはやまほどある。
だから。
家族に聞いてもらえないなら、同僚が・上司が・友達が・先生がダメでも僕は聞くぞ。
聞くぞ。
すごいなぁ岬さんは。
ワシには、他人のことを引き受けられるほどの度量はありませんねぇ。
ただ、頑張りすぎることには意味がないっての気づいて、↓な人間になっただけです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ibukuro/life/life-syogen.htm
投稿情報: い | 2008年1 月21日 (月) 午後 11時46分
>>いぶくろうさん
『苦労は売ってでもするな』
感動した!(爆)
投稿情報: 岬 | 2008年1 月22日 (火) 午前 12時54分
岬さんの優しさ、いぶくろうさんの性格・基本理念、今の私の心に染入ります。
投稿情報: ごん★たろう | 2008年1 月22日 (火) 午前 06時22分
岬さーーん。
難しいです。私には・・
誰でもマイナスな部分。。持ってますよね。。
私も・・色々悩むとうつになりそうな時、あります。
でも。。。
自分の基本、私の根本に自然 に生きます。
自分の感性に、素直に生きたいです。
とは・・言っても。。
ホントに素直に生きてんのかなぁぁ~??
解からん。
投稿情報: hagu | 2008年1 月22日 (火) 午後 12時46分
>>ごん★さん
ゆっくりね!
ゆっくり起き上がらないと。
いきなりだとギックリ腰になっちゃうから(笑)。
>>haguさん
素直に生きるってとんでもなく難しいですよね。
できる出来ないはともかく、自分には正直に生きたい。
それは僕も同じだなぁ。
投稿情報: 岬 | 2008年1 月22日 (火) 午後 07時51分
自分を自分で救い上げることができる人は稀だと思います。
でも、自分を守る度量は、自分で築くしかなくて
そこを愚痴っても始まらないのも事実。
>>心優しい人々ほど、苦しみにのた打ち回っている
正直、本音を言わせていただくと、これは逃げ口上だと思いますよ。
そこに至るまでの自身の度量と、そこまでの過程・・・偶然・必然の経緯。
優しさと苦しみは、正比例でも反比例でもないと思います。
運命のせいにしてはいけないと思います。
精神が悲鳴を上げるのは、その後の話と思います。
苦しんで苦しんで苦しみぬいて、死をも頭をよぎることがあると思いますが
人間の強さ(弱さ)は、自身の度量が重要と考えます。
度量・・・その単位は人それぞれ。。。だからこそ難しい。
他人には何もわからない。。。その上で岬さんが仲間の心のオアシスに
なっているのであれば、それは素晴らしいことだと思います。
美しいですけど切ない役回りだと思います。。。頼もしいですが・・・
投稿情報: ぷる | 2008年1 月22日 (火) 午後 10時21分
はい、鬱病を持病にしてる男が来ましたよ。
もう鬱で入院したのが2年も前になるんですね。
3ヶ月ほど世間から隔絶してリフレッシュしました。ある意味、とっても楽だった。
けど、人生それじゃダメなんだよねって自分に鞭打って生きてるうちに、院長になっちゃいました。
そして今まで以上のプレッシャーに耐えて生きていくことに。
もっと精神的にタフな人間に生まれてきたかったです。
自分でも甘ったれてるなって思うことがあります。
投稿情報: Tommy | 2008年1 月22日 (火) 午後 10時49分
>>ぷるさん
所詮世の中は戦いの連続なんですよね。先陣を切って進む者もいれば、怪我人の腕を引いて走る者もいます。僕は腕を引いて走りたいんでしょう。弾にも当たらず怪我もなく、ただ怖いからと進まない人までは見れませんけど、進みたい・歩きたいという意欲があるなら、助けて一緒に進みたいんです。役回りは悲しいのかもしれないけれど、そうしたいんですねぇ(笑)。
>>Tommy
そういうのも持病って言うの?!(笑)
とりあえず院長、かわいい事務員さんか助手の方を入れて、服を着せて写真を撮って送って下さい(笑)。
投稿情報: 岬 | 2008年1 月23日 (水) 午前 06時13分