ものごとをスムーズに進めるためには、シナリオというものがあるといい。
ドラマでも映画でもそうだし、政治も家庭内問題もそう。ありとあらゆるところでシナリオは存在する。形にはなっていなくてもである。
バンド活動に昨年復帰して、あっちこっちのセッションに参加してきた。そのうち、自分である程度のシナリオを手がけたものがある。『第一回レインボー・セッション』である。
六時間に及ぶセッションを三部構成に分け、全29曲を山あり谷ありの構成で演奏を完遂させられた。発想は乱暴だったが、一緒に手伝ってくれた仲間が大勢いた。結果は大成功だった。
しかし、岬的には物凄くもの足りない面もあった。
それは演出。
『シナリオ』は、全体の流れをコントロールするもの。『演出』は、シナリオ上に存在するいくつかのシチュエーションをより理解しやすく、より感情移入しやすく、より劇的に盛り上げたりするテクニック。逆に重苦しいシチュエーションをあえてサラッと流してしまうテクニックなんかもある。つまり、『伝えたいもの』をどうしたら確実に伝えられるか・・・と試行錯誤して行う、情報操作みたいなもの。
シナリオ通りに進んでも、演出が足りないと感動は少ない。いや、ちょっと違うか(笑)。
演出が成功すると、感動は二倍三倍に膨らむのだ。表現者として、そういう可能性はとことん追求すべきと岬は思ってます。
で、前回、急造ユニットなバンド『江戸紫軍団』において、岬は演出をいくつか試みた。一緒にいた仲間も知らない事だったりする。今回、ちょっとこれを時系列で列記してみようと思う。
まず衣装。黒のカンフー着。鏡の前では結構カッコイイ。ところが、実際にステージに出た時は幕が下りていて自分の姿はお客さんには見えていなかった。ドラムに座る。
幕が上がり、演奏開始。ここで気付いた。お客さんは岬の衣装がカンフー着だとは気付いていない。つまり、ドラムの後ろに座っている自分の衣装は、単に黒い服でしかないのだ。しかもドラムの前にいるボーカリストは純白のスーツに白の革靴!(笑) このコントラストの見事なこと!
つまりこの衣装は、ステージに入る段階で全身を見せておかなければならなかったのだ。
ドラム・ソロが始まった。本来のソロの設定はすべて捨てた。カンフー着である事が伝わっていない限り、用意した小芝居もすべて伝わらないはずだから。
かなり端折って光るスティックを持ち出す。これはウケた。思っていた以上にウケた。びっくりした。光るモノと轟音が交錯すると人間は興奮するらしい(笑)。しかし、冷静に考えるとどうということはない。これは『単品』でもじゅうぶんウケるのだ。演出なんかまったく関係ない。
ただ。
黒い服装だったことが幸いしたのも事実。スティックの光を服が反射しなかったため、スティックそのものが見事に際立って輝いていた。
光るスティックを足元に置き、今度は黒いスティックを持ち出す。ここで本当なら『ある構え(ポーズ)』を取るはずだった・・・・・・が、それも端折った。カンフー着であることを知らない観客には絶対に伝わらないからだ。
その後、アンコールの段階で上着を脱いだ。下はランニングシャツ。これが非常におじさんチックで笑いを誘った。笑いを取ったんだから成功か・・・・・・いや、本当の狙いは違った。カンフー着と解っていてもらえたら、別のリアクションもあったはずなのだ。
さて、それではいったいどういう演出だったのか。
単純な話、ブルース・リーの真似で出たわけである。ところが最初の段階で服装を認識してもらわない限り、ドラマーは身なりをアピールできない。座りっぱなしだからだ。
黒いスティックを両手に水平に持ち、正面に押し出せば、有名な『燃えよドラゴン』のヌンチャクの構えになる。しかしこれだけやってもチンプンカンプンに違いない。なんせお客さんはブルース・リーとの関連なんて微塵も感じていないからである。
ランニングシャツは、ブルース・リーのカンフー着の下着として有名である。だが、上着を脱ぐ段階でカンフー着だったことが認識されていなければ、これも単なるオッサンになってしまうのだった(笑)。
つまり!
『江戸紫軍団』での岬の個人的演出は、光るスティック以外は全滅だったのである。
ガーーーーーーーーン
いや(笑)、別にショックを受けることはない。
過ぎた事だし、勉強にもなった。
ずっと以前から心底理解していることだけど、『伝わらない演出は演出とはいえない』のだ。
だから次の機会には、『伝わる演出』にこだわりたいと思う。
そして・・・・・・
どうやらいろいろな方面で、それを実践する機会がやってきたようだ。
『伝わる演出』
今の岬の『命題』である。がんばろう!
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