日曜日に実家に行ってきました。
実家は市境にあります。金沢八景という横浜市の土地から、橋を渡って横須賀市に入ったところにある追浜という町。父はそこに住んでいます。
昨年の秋、母が亡くなり、父はいま独りで暮らしています。母の生前、親不孝者だった僕はなかなか親に顔を見せに帰ることがなく、母が入院しても、それでもなかなか足が、体が、そちらの方向を向く事はありませんでした。仕事の忙しさを周りにも、自分にも言い訳にして。
で、母が亡くなり、父はいま、毎日本を読んで過ごしています。昔から読書好きでしたし、老眼鏡こそかけているものの、今読んでいるのは文庫本の小説です。新聞よりも小さな文字を、本を持った腕を必要以上に離さずとも無理なく読んでいます。なにより目がいい!いや、父は歯も丈夫なんです。最近はどうか判らないけれど、昔は梅干のでっかい種を簡単に噛み砕いてました(笑)。体も丈夫。秋田生まれ秋田育ちは強いです。いや、みんながみんなではないでしょうけれども。
父の日というものの存在を数日前に思い出し、もう過ぎてしまったのかと悔やんだ後に、実は次の日曜日が父の日だと教えられ、ならば何かしなければと……しなければ……と考えれば、することはひとつ。父の日のプレゼントに地方モノの漬物か何かを送る事くらいしか思いつきません。しかし、昨年、これでおもいっきり悔やんだ事を思い出しました。
昨年のこの時期、母の日が済み、しかし母の日になにもせず、父の日に母の日も併せて、さすがに硬いものはどうかと思い、美味しそうなさつま揚げのセットを贈ったんです。
配送で届いたそれは、父は口にできたそうです。美味しかったと言ってくれました。しかし母は口に出来ませんでした。その荷物が届いた翌日に意識不明となり、入院したからです。
母の意識は戻ることなく、それでも秋まで頑張ってくれて、九月いっぱいまで生き抜いてくれました。
だから……贈り物をするくらいなら、顔を見せに行くべきだろうと自分を鼓舞しました。以前行けなかったのは、怖かったからです。母も父も、何ヶ月ぶりとか一年ぶりとかで顔を見ると、見るたびに老いていってるのがハッキリ判るから。そういう現実が怖かったんですね。
さて、行く途中、渋谷のデパ地下に寄って寿司を買い、金沢八景で降りてからコンビニでビールを買って、家に着きました。
父は元気でした。
泣きたいくらいホッとしました(笑)。
母の遺影に線香をあげ、一緒に寿司を食いました。独りになってから、お昼はいつも食べていないと言っていた父が、今日は一人前の寿司をぺろりとたいらげて、美味そうに缶ビールを飲んでました。父は無口で、僕もこういうときは無口で、お互いに大した会話もしませんでしたが、それでも寿司とビールは美味かった。
台所にあったカレンダーの、先週の日曜日の欄にお寺の名前が書かれていました。なんだ(笑)、父は先週、墓参りに行ってきたんですね。私鉄で一駅の距離だから、寿司を食ったらタクシー呼んで一緒に行こうかなどと考えていたんですが、それはやめました。
食って飲んで、もう一度母に線香をあげて、『じゃ帰るね』と僕。『そうか。遠いところありがとうな』と父。一緒に寿司を食ったというだけの時間だけど、この短さに意味がある事を父は知ってくれています。帰りに隣の駅に僕が立ち寄る事を判ってくれています。親子ってこういうもんなんですね。
入梅を告げられつつも、天気は快晴。しかも湿度が低くて気持ちいい。だから写真を撮ってきました。これが僕のふるさとです。(ちなみに、左のマンションの裏手に『八景島シーパラダイス』があります。ここから歩くと約一時間くらいの距離かな)
さて、隣の金沢文庫で降りて、20分ほど歩きます。母の遺骨は、大勢の皆さんと一緒に埋葬されています。だから母専用の墓石はありません。このシステムを知って、正直僕は『素晴らしい!』と思いました。だって独りで墓に入ってるのと、大勢が一緒にいるのとでは、寂しさがちがうでしょう!人当たりが良く、人気のあった母なら友達も大勢できた頃と思います。
そんなことを思いながら、線香をあげて手を合わせてきました。
『先週来たから判ってるだろうけれど、お父さんは元気だよ』
帰ろうと階段を降り始めたら、気のせいだろうけれど、母の言葉が頭に入ってきました。
『で、私にお寿司は?』
すっっっっっっっっっっっかり忘れてた!(笑)
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